たまたま特待生として合格しました。都立に落ちて自信を無くしていたので、これまでの勉強の成果を得られたことがすごくうれしくて。今考えるとその入試が勉強をするようになったきっかけでしたし、いろいろなことに挑戦したいと考える契機になりました」と話す栗原さん。3年間所属した卓球部では、部長も務めました。
大成を選んだ理由は、行事が活発そうだったから。「本当は家から近かったことと自分のレベルに合った難易度だったから」なんだそう。そんな中で入った特進・特選のクラスは、「ほぼ入れ替わりがなく、だいたい同じメンバーで過ごします。1年のときは行事の決め事など、うまくまとまらないときがありました。しかし高校3年間でクラスが成熟しましたし、人間性の面でも成長できたと思います」と語る栗原さん。印象的だった3年時の文化祭について教えてくれました。「屋台を作りました。組み立てのときなど準備を呼びかけると、みんなが参加してくれてうれしかったです。2年生の時よりみんな協力的で、真面目に取り組む人が増え、いいペースで完成しました」。クラスの団結力の強さを実感できましたが、高3の受験期にも行事に一生懸命になれた理由として栗原さんは、「3年生のほうが受験が近いからこそ、行事は全力で取り組もうという雰囲気がクラスにありました。息抜きになりますし、勉強だけだと視野も狭くなってしまいます」と話します。担任の先生からも「行事を目一杯楽しむことが大事」と伝えられていたそうです。
3年間同じだったという担任の先生について栗原さんは「優しさが言葉の裏からにじみ出ている先生です。受験に向けてのアドバイスに力をいただきましたし、生徒のことを思ってくれていると伝わってきて、この人のことを信じていれば受かるんじゃないかと感じていました」と話します。特に印象に残っているのが、「落ちる理由を考えるのではなく、受かる理由を作れ」という言葉だそう。「今まで『これだけ積み重ねて頑張ってきたんだから』というマインドでいこうとアドバイスされました」と栗原さん。
生活の中で大切にしていたのが毎日の授業です。「大成にはいい先生がたくさんいて、授業は本当にわかりやすかったです。副教科もできるだけ聞くように。むしろ、そのほうが自分の身になると考えていました」。1年の後半からほぼずっと上位の成績だった栗原さん。頑張れば成績と順位に反映される楽しさが、より勉強へと駆り立てました。しかしそんな栗原さんにピンチがやってきます。「上の世界を見すぎて、難関大学しか出願しませんでした。当初目指していた国立大の過去問があまりに難しく、どう考えても自分の実力では無理だろうと思い、3年の後半に突然やる気が無くなってしまいました」と振り返ります。かつ共通テストでは「得意の数学は9割以上取るつもりだったのに、5割程度しか取れなくて。これまで問題を解いていて、こんなにできなかった経験は初めてでした」と話します。実は今春の共通テストは多くの受験生を苦しめた高難度の出題でした。
しかしその後の一般入試で「解いていて、本当に久しぶりに集中できました。英語も全部わかるぞ、解けるぞ、もしかしたら受かるんじゃないかな、と今まで感じられていなかった手応えを突然感じることができて、やる気になりました」と言います。そこからは続々と合格を手にしますが、受かった理由を栗原さんは「1・2年のときに基礎をしっかりと積み重ねること、授業を受けること、テストに真面目に取り組むことが大切と気づきました」と教えてくれました。
研究職を希望する栗原さん。「東京理科大への進学はあくまでまだ通過点」と語ります。近い将来、彼の研究成果で我々の生活がより豊かになるかもしれません。
高2に進級するときの文理選択が、高校生活の大きな転機になったという村山さん。「生物が好きでしたが、数学は苦手だし、仲のいい友だちはみんな文系なので、どちらを選ぶかすごく悩んでしまいました」
結局、ご両親から「好きな科目なら、頑張れるんじゃない?」と勧められて、理系を選択したものの、「本当についていけるんだろうか」という不安を抱えたまま、4月の進級を迎えることになりました。
ところがちょうどそのタイミングでコロナ禍による緊急事態宣言が出され、大成も休校に入ってしまいました。休校中、村山さんは、学校から出された課題や動画のほか、自分で計画を立てて勉強に取り組みましたが、孤独感と不安でいっぱいだったと言います。そこで何よりも支えになったのが、定期的にかかってくる担任の先生からの電話でした。
「先生に理系の勉強が不安だと打ち明けたら、『大丈夫。自分のペースでゆっくり勉強すればいいよ』と言ってくれました。宿題の進み具合についても、『よく進んでいるね』とほめてくれて、とても安心できました」
先生に励まされて、理系で頑張る気持ちが固まった村山さんは、苦手な数学や英語も逃げずに取り組みます。「登校が始まってからも、Teamsのチャットで先生に質問することができたので、わからないことはすぐに聞くようにしました」
村山さんはぐんぐん力をつけて、成績も飛躍的にアップ。理系の中で学年3位を獲得するまでになり、目標としていた指定校推薦での大学進学も可能になりました。
「ただ私はまだ将来やりたいことがはっきりしていないので、指定校推薦の限られた選択肢の中から選ぶより、できるだけレベルの高い大学を目指して一般選抜や総合型選抜で挑戦した方がいいのではないかと両親に言われて、迷い始めてしまいました」
そこで再度、大学を調べ直したところ、いちばん興味を持っている人体の研究に定評のある東京薬科大学に進学したいという気持ちが強くなりました。「志望校を決めたのは高3の8月でしたが、先生は『頑張ろうね』と背中を押してくれました。それがすごくうれしくて、前向きな気持ちになれました」 東京薬科大学には総合型選抜で挑戦。口頭試問は、先生が何回も練習してくれたのだとか。「私は3年間、いっさい塾に通っていません。志望校に合格できたのは、すべて大成で力をつけてもらったおかげです」
勉強と両立して続けたバドミントン部では、明るい仲間と楽しく活動し、レギュラーになるという目標も達成しました。「高校時代、目標に向けて努力する経験を重ねて、挑戦する意欲やポジティブに取り組む姿勢を培うことができました」
村山さんは今、新たな目標に向かう第一歩を踏み出しました。
自宅から近い私立を志望していた渡辺さん。中学の先輩が通っていたこと、塾の先生のアドバイスを聞いたことで大成の学校説明会に参加。「先生方と話して楽しかったし、先輩たちの様子を見て、来るたびに『ここに入りたい』と思い、大成のみを受験しました」と言います。情報進学コースを選んだのは「大学は指定校推薦を使いたかったから。情報コースは成績が取りやすいと聞き迷わず決めました」と話します。渡辺さんはもともとICTスキルは持っていましたが、「先生方は、私たちのレベルを踏まえた上で授業を進めてくれました。PCは普通に使えましたが、P検取得に向けて学んだことにも多くの発見がありました。今後は情報処理技術者試験の国家試験『ITパスポート』にも挑戦したいと思っています」と、自ら学ぶ姿勢が身につきました。
学校生活ではクラス委員としてまとめ役を務めた2年生での文化祭が印象的だそう。「クラス替え直後から休校期間に入り、オンラインでの授業を経て登校に。体育祭が中止になったこともあり、クラスにまとまりがなく大変でした。ただし情報コースは、女子が少人数で全員仲が良いので女子に協力を求めて、男子も参加してもらえるように工夫しました」と試行錯誤しながら頑張ったのだそう。
「中学の時の授業はわからなくなり、つまずいてしまった。でも大成では、授業で基礎から教えてくれましたし、先生方の授業が丁寧で説明に工夫されていて、すんなりと理解できました。授業を聞いているだけでわかるので、勉強したいと思うようになったんです。最初のテストで点数が取れて、勉強が楽しくなりました」と教えてくれました。「大学入試の際、先生は親身になってくださり感謝しています。将来の夢は公務員ですが、資格を取って選択肢を広げつつ、いろいろ考えていけたらと思っています」と明るい笑顔を見せてくれました。
高校受験では「憧れの高校があった」という中田さんですが、残念ながら第一志望合格の夢は叶いませんでした。大成に通うお兄さんから「学校行事が盛んで、楽しい学校だよ」と聞いていた影響もあり、大成への進学を決めました。「第一志望に落ちた分、友だちとの学校生活も行事も部活も大学受験もすべてがんばって、楽しく過ごしたい!」と、悔しさをバネに高校生活を目一杯楽しもうと心に決めていました。
部活は、楽しそうに練習する先輩たちや弓道着のかっこよさに惹かれて弓道部を選びます。「上級生として参加した合宿では様々な経験を積むことができました。楽しい反面、共同生活の難しさを学びました。また周りのことを考えながら行動したり発言したりすることの大切さを改めて感じました。部活を通して、自分に欠けていた協調性が学べたと思います」
大成で高校生活を満喫していた中田さんですが、勉強はすんなりとはいきませんでした。「勉強嫌い」と公言していたほどで、部活との両立もまったくしていませんでした。そんな中田さんが勉強に興味を持つきっかけになったのが、世界史の授業でした。
「高1 ではじめて受けた世界史の授業がおもしろくて、特に1800 年代以降の世界史に興味を持ちました。点ではなく線でつながっている部分におもしろさを感じたんです。世界史の勉強だけはコツコツと続けていたので、周りから遅れて受験勉強を始めたときにもかなり役立ちました」 大成ならではのわかりやすい授業と、中田さんの好きな教科に対する熱意が、受験生としての姿勢を大きく変えていきました。
もともと海外に強い関心を抱いていた中田さん。お母さんの友人でキャビンアテンダント(CA)として働く女性から、外国の話やCA の話を聞くたびに「自分もCA として海外に出て活躍したい!」と思うようになり、本気でCAを目指して大学選びを始めます。調べていくうちにCA の実就職率全国1 位が学習院女子大学であることを知り、一般受験を決意。ただ、スタートが遅かったこともあって、周りからは「難しいのでは?」と言われてしまいました。実際、高3の夏に担任の先生からも「志望大のレベルに達していない」とはっきり言われますが、CA になりたい強い気持ちで、出された課題はすべてやり切りました。
「高校受験のときの悔しい気持ちが残っていたのだと思います。とにかく自分に負けたくなかったんです。"絶対に受かる!"と信じながら勉強を続けました」
遅いスタートを挽回するように受験勉強に打ち込む中田さんでしたが、なかなか学力が伸びず、焦る気持ちが募っていきます。そんななか、AO入試で受けたすべりどめの大学にも落ちてしまいました。しかし周りの心配をものともせず、本人はいたって冷静でした。「勉強するしかない」状況に追い込まれたことで、逆に高い集中力を発揮し、学力が一気に伸びていきました。それでも困難はまだまだ続きます。「やっと学力が伸びたと思ったら、今度はすべりどめのAO 入試のII 期に落ちてしまったんです......」
そんなどん底の状況を救ってくれたのが、担任の先生でした。自分を信じる気持ちが切れて「もうやめたい」と思い始めていた中田さんの気持ちを察知し、「三者面談をしよう」と提案してくれたのです。「先生から"夢は見るものではなく叶えるものだよ"と声をかけてもらい、将来の夢に対する気持ちを思い出すことができました。前向きな気持ちになれたことで、最後まで諦めずに努力し続けることができました」
楽しかった高校生活の最後を「合格」で飾ることができた中田さん。次は憧れのCA に向かって歩き始めています。
大成に入学が決まったとき、「これからはめちゃくちゃ勉強して、大学受験でチャレンジしよう」と心に誓った林くんですが、ハンドボール部に入部すると生活が部活中心になり、勉強どころではなくなってしまいました。特に高1の夏以降は活動時間が長くなって練習も厳しさを増し、帰宅後もすぐ寝るだけの毎日が続きます。どうしたらいいか考える余裕もなく、勉強も部活も、目の前のことをこなすだけで精一杯でした。 そんな林くんの部活に対する気持ちが変わったのは、高2になって自分たちの学年が中心となる新チーム体制がスタートし、副キャプテンになったときでした。それまで自分のことしか考えられなかったのが、後輩やチーム全体のことを考えるようになり、部活に取り組む意識のレベルが上がったのです。 ところが、その後の林くんの部活生活には大きな挫折が待っていました。高2の秋、新チームとしての初めての大きな大会で、まさかの2回戦敗退。とても悔しい思いをして、「次こそがんばろう」と気合いを入れていたのに、春休み中の練習試合で腕を負傷して練習ができなくなり、4月に始まる大会もその後の引退試合もほとんど出場できなかったのです。チーム自体は東京都ベスト8まで進んだのに、自分は何も貢献できず、とても情けない思いをしました。 それでも林くんは「部活を続けることができて本当によかった」といいます。 「つらくても情けなくても、くさったりあきらめたりしないで最後まで続けられたことが次につながる自信になりました。そしてハンドボールで成果を出せなかった悔しい思いを勉強にぶつけて、顧問の先生に大学受験でいい報告がしたいと、強く思いました」 けっして順調ではなかった部活の経験が、次の目標に挑戦する原動力になったのです。
林くんは、高1・高2と部活最優先の生活を送っていたとはいえ、提出物はきちんと出し、定期試験の前には試験勉強をするなど、少しずつ勉強は続けていました。さらに高2の12 月には、クラスの友だちが受験勉強を始めると聞き、自分もできるだけ勉強しようと決意。英単語帳に取り組んだり、部活のない日に予備校に通ったりなど、少しずつ受験への準備態勢を整えます。部活引退後、スムーズに受験勉強にシフトすることができたのは、この時期に勉強の習慣を確立していたからだといいます。 「勉強自体はまったく苦になりませんでした。部活と比べたら勉強は楽だと思ったし、むしろ気分はノリノリでした(笑)。模試の結果も気にならず、プレッシャーを感じることもなく、無心に勉強し続けることができました」 刺激になったのは友だちの存在です。林くんの得意科目は社会ですが、それも高2で受けた世界史の授業がおもしろかったのと、テストの点数を競い合うライバルがいたことが大きかったといいます。クラスの友だちとは英単語の問題を出し合うこともありました。 そして林くんは、高校受験で附属校に合格できなかったときから第一志望と決めていた中央大学に、見事に合格を果たしました。 「大成の3年間でいちばんがんばったと思うのはやっぱり部活です。ハンドボール部には『あたりまえのことをあたりまえにできるようにしよう』というモットーがあり、挨拶なども徹底して指導されました。我慢することを学び、精神的にも鍛えられたと思います。何より思い通りにならないこと、うまくいかないことの方が多いと実感し、それでもけっして負けずに努力することの大切さを学びました。大学でもその経験を活かし、本気でがんばり続けたいと思います」 将来、中高の社会科の教師になることを目標に、林くんは今、確かな一歩を踏み出しました。
中学時代、弦楽部に所属し、音楽のアンサンブルに魅了された玉山さんは、大成入学後、迷わずギター部に入部しました。とはいえ大成ギター部の活動日は週1日。中学時代、毎日部活動があったのとは対照的で、自分の技術やモチベーションを保つのが難しく感じられたそうです。少しでも怠けるとすぐ指が動かなくなると思った玉山さんは、部活動がない日も自分で練習するようにしました。同時にただ自分の技術を上げるだけでなく、周りのギターやボーカルとの調和も常に考え続けなければならないと実感します。3年間のギター部の活動で、玉山さんは「継続すること」の大切さを身をもって学んだのです。 「ギター部の活動でいちばん印象に残っているのは、高3の文化祭のコンテストで、たくさんのバンドの中から3チームだけが残る決勝に進出したこと。高1の文化祭で先輩方が演奏する姿を見たときは、自分たちが2年後に同じレベルで演奏できるようになるとは到底思えなかったのに、今その舞台に自分が立っていると思うと、感動で胸がいっぱいになりました」 演奏しながら客席を見ると、審査員の先生方が泣いているのが目に入ります。 「自分たちの演奏を聴いて、先生方が涙を流してくれている。それを見たら、演奏している私も涙が止まらなくなってしまいました」 こつこつと練習を継続したことが、高校時代最高の思い出につながった瞬間でした。
そんな玉山さんには、高校時代にがんばったことがもうひとつありました。それは勉強です。 「中学時代は部活一筋で、本当に勉強していませんでした。まったく興味がわかなかったし、勉強ができる人は地頭のいい人だから、自分はやっても無駄だと思っていたんです」 でも高2の初め、玉山さんはふと「1教科だけ、ちょっとがんばってみようかな」と思いつきます。そしてその頃いちばん興味があった生物を勉強してみました。すると中間テストでそれまで取ったことのないようないい成績を取ることができたのです。玉山さんはそのとき初めて、「勉強は、やればやった分だけできるようになるんだ」と実感しました。 「それがとても新鮮だったし、いい成績を取れるのもうれしくて、もっと勉強しようと思いました。初めのうちはとにかく時間をかけて量をこなすだけでしたが、だんだん自分に合う効率的なやり方がわかってきて、少しずつ、いろいろな教科に手が伸ばせるようになってきました」 高2の3学期には、クラスの男子の一人に英語のテストで負けたことが悔しくて、さらに心に火がついたという玉山さん。互いに高め合えるライバルの存在がモチベーションにつながり、高3の1学期はベストを尽くして、思った通りの内申点を獲得しました。そのうえ、情報進学コースとして高3の夏にはパソコン検定やMOS 検定を取得、11月には英検2級にも合格します。 「私にとっては、まさに高2が転機の年でした。勉強の楽しさがわかり、情報進学コースや部活の仲間との交流を通じてチームワークの大切さや競い合う喜びも実感できました」 そして玉山さんは、誰よりも大成の先生方に感謝しているといいます。 「私が勉強しようと思えたのは、先生方がみんな個性的でおもしろい授業をしてくれたから。先生方が好きだったからやる気になったんです。先生方はわからないところを聞きに行くと、けっして邪険にすることなく、私のレベルを考えて、丁寧に説明してくれました。知らないことは恥ずかしいことではなく、知ろうとすることが大切だと教えてもらいました」 大学では、もともと興味があった幼児教育について幅広く学びます。海外の教育についても研究したいと目を輝かせる玉山さん。大成でスキルアップした自信を胸に、未来に向かいます。
中学校の吹奏楽部でホルンを担当していた森野さんは、大成の吹奏楽部に入りたくて、入学を決めました。中3のとき、学校案内のパンフレットを見て、「コンクールで金賞をとることを目標にするのではなく、まずは音楽を純粋に楽しみたい」という吹奏楽部の紹介文に惹かれたのがきっかけです。その後、体験入部に行き、パート練習にも参加。コーチのレッスンを受けたり、合奏も体験したりして、和気あいあいとした雰囲気が気に入り、「絶対、この学校に入りたい」と思うようになりました。
しかし、実際に入部すると、部活は予想以上に練習時間が長く、忙しい毎日が待っていました。放課後の練習は週6日。それ以外に毎日のように朝練もありました。
「特に高1の間は慣れないこともあって本当に大変でした。こんなに練習して意味があるのかと疑問に思うことも......」
その気持ちが変わったのは高2で副部長になってから。
「幹部として部活全体を見るようになり、運営にも関わって、活動をよりよくしていくにはどうしたらいいかを考えるようになりました。後輩ができて、みんなを引っ張っていくことへの責任感も強くなり、自分自身の部活に取り組む姿勢が大きく変わりました」
その後は迷いなく、吹奏楽部の活動に打ち込みます。勉強との両立は大変でしたが、とにかく授業に集中して乗りきりました。
吹奏楽部の活動で、森野さんにとって最も大きな経験となったのは高3の8月に行われたコンクールです。まさに受験勉強が忙しくなる時期で、部員の中には「練習どころではない」と考える人も少なくない一方で、「今まで頑張ってきたからには賞をとりたい」という人もいて、部員同士が互いにギクシャクした状態になってしまいました。
そこで高3全員で話し合い、「一人ひとりの事情も考えたうえで、勉強と両立しながら、みんながコンクールに出られるように協力しよう」と決めました。結局、高3の24 人中、一人だけ受験勉強のために部活を辞めましたが、あとは全員がコンクールに出場。辞めた一人も最後まで応援してくれましたが、結果は銅賞でした。
「前年の銀賞に届かず、少し残念でしたが、みんなの力を出し切れたので満足です」
森野さんは3年間の吹奏楽部の活動を通して、「いろいろな考え方の人がいることがわかって、人の立場に立って考えることができるようになった」と言います。仲間とともに真剣に活動に取り組んできたからこそ、人としても大きく成長することができたのです。
そんな森野さんが「法学部に行きたい」と考えるようになったのは高2の夏ごろでした。「高2から政治経済の授業が始まって、すごくおもしろいと思ったんです。ちょうど部活で副部長になり、みんなが楽しく活動するためにはルールが必要だと思うようになったころで、それが、社会の中の法律の必要性と重なりました」
部活での経験が、法律や政治経済への興味を引き出したのです。さらに大成でいろいろなタイプの先生と出会ったことから、「公民や政治経済を教える先生になりたい」という気持ちがわき上がってきました。
専修大学は、1年で法学の基礎知識を学び、2年から進みたいコースを選べるところが気に入って受験を決意。今後は様々なことにチャレンジし、自分の幅を広げて、「大成の先生たちのように、生徒一人ひとりに寄り添える教師」を目指します。
「高校時代は、何か一つ、これをがんばろうと決めて取り組むといいと思います。そうすれば、そのために他のこともがんばろうと思えるからです」
吹奏楽部の活動、それが森野さんの次の夢のステージに向かう原動力になりました。
恵まれた環境でサッカーに打ち込みたいとの気持ちが強く、前の年に大成高校に進学した中学のサッカー部の先輩の勧めもあって大成を選んだという石垣くん。
「大成には東京都の高校ではあまりない人工芝のグラウンドがあります。しかもT リーグでT 2と実績のある部です。中学時代に出会うことのなかったレベルの高い選手と一緒にプレイできるのは、非常に刺激になりました」
大成高校には文理進学コースや特別進学コース、特進選抜コースがあり、進級時にコース変更ができるなど、その時々の希望や成績で融通が利き選択肢の幅広く、当時から大学の一般受験を視野に入れていた自分にピッタリだと感じたそうです。
しかし入ってみると、文理コースは推薦入学希望者が多く、一般入試を志す自分と目指しているものが違うと感じた石垣くん。1 学期早々、担任の先生からも特進コースへの変更を勧められました。希望者がとても多いという文理コースから特進コースへの変更の可否は、1 年次の成績と模試の成績で決まります。
「大好きな部活と勉強の両立は大変でしたが、どちらも自分のやりたいことなので、忙しさを言い訳にはしたくない」と、部活がどんなに大変でも帰宅後には必ず勉強時間を設け、やるべきことを淡々とやり続けました。その結果、3月に無事、特進コースへのコース移動が決まったのです。
「特進コースは教室に『センター試験まであと○○日』と張り出されていて、みんなで大学受験に向かっていく感じでした。自分も一般入試をするのだと実感し気が引き締まりましたね」
授業で扱う量やスピードも全く異なり、最初はついていくのが大変だったそうです。しかし持ち前の頑張りで、1 か月後にはすっかりクラスに馴染むことができました。
大学選びには夏休みのオープンキャンパスを積極的に活用したという石垣くん。1 年生では、印象の良かった成蹊大学を目標として掲げましたが、2 年生で明治大学に志望が変わります。
自宅に近く、ちょっと硬派なイメージが自分に合っていると思ったのだとか。
法学部への進学を決めたのは1年生の3学期。「進路の日」に受講した法学部の先生の講演が決め手となりました。「六法全書を覚えるだけではなく、様々な判例を読み解いていくのが法学部。いずれも、そのゴールにはっきりと正解があるわけではない。状況や様相から最も正しいと思える答えを導きだしていく」という話を聞いて、がぜん興味がわいたのだそうです。
「高校生らしい遊びはほとんどしてきませんでした。常に自分を鍛えてました」と語る石垣くんは、2 年生の冬に引退するまでは部活に、その後は受験勉強に全力を尽くしました。
塾には通わず、自分で情報収集し、勉強のプランを立て、毎日コツコツ勉強に励みました。「大成の授業はクオリティが高く、おもしろくて分かりやすいため、塾に行かなくても十分、受験に対応できるんです」
ゴールとなる受験日から逆算して日々のスケジュールを決め、「実際の目標を叶えるには、一つ上に目標を設定するべき」との考えから、早稲田をターゲットに据え、3 年生では時間のある限り勉強していたと振り返ります。その結果、本来の志望校である明治大学には、「本番で問題を解いているときに合格を確信した」そうです。
「大学受験は、受験勉強期間だけでなく小学校から積み上げてきたものの集大成。周囲に流されるのではなく、自分が何をしたいのかを考え、目標に向かって努力するのが大事です」
授業・部活・行事、すべてが充実した大成での生活を全力で駆け抜けた石垣くん。さらに大きな未来に向かって走り出しています。
保育園のころから看護師になりたいと思っていた中村さん。小6のときに大好きな祖父が大きな手術をすることになって入院し、担当してくれた看護師さんの優しさに触れたことがきっかけで、「私もこんなふうに、元気のない人を笑顔にできる看護師になりたい」と決意しました。
大成には第一志望の都立高校に合格できず、やむなく入学しました。しかも中学校の内申が足りなかったので文理進学コースに入れず、情報進学コースに入ります。中村さんの高校生活は、大きな挫折から始まったのです。
「最初のうちは、中学時代の友だちが都立高校に行っているのがうらやましくて、どうしてもっと勉強しなかったんだろうと後悔ばかりしていました」
それでも少しずつ、気持ちを切り替えていった中村さんは、「高校生活は一度しかないんだから楽しもう。そして大学受験では後悔しないように勉強もがんばろう」と思い直します。部活は、華やかなステージにあこがれてダンス部に入部。クラス委員にもなり、行事にも積極的に参加しました。さらに勉強でも成果が表れ、モチベーションも上がりました。
大成は高2からコース変更ができます。中村さんは看護師を目指していたので、文理進学コースの理系クラスに進むつもりでした。ただ、理系クラスには看護学部進学に必要のない科目もあり、指定校推薦も考えると、情報進学コースでしっかり成績をとる方がいいはずだと考えます。先生にも相談したところ、「情報進学コースで余裕を持って勉強した方がいいんじゃないかな」とアドバイスしてくれました。
しかも情報進学コースは、ほかでは学べない情報技術も習得できます。
「タイピングはすごく速くなりました。もともとは成績が足りなくて仕方なく入った情報進学コースでしたが、考えてみたら、看護師にとってもパソコンの技術は必須です。高校時代に基本的なスキルを身につけておけば、将来にも有利ですよね」
目標に向かう姿勢が明確になったことで、すべてがポジティブに考えられるようになりました。
その後、指定校推薦の中には自分の希望する大学がないことがわかり、中村さんは一般入試を目指して勉強を始めました。しかしなかなか点数が伸びず、焦る気持ちばかり大きくなります。さらに高3の夏にはダンス部の全国大会への出場が決まり、練習時間が増えて、思うように勉強ができない日々が続きます。ダンス部の仲間との葛藤もありました。
「とてもたいへんでしたが、結果的に最後の大会に出られたことはよかったと思います。いろいろなことを経験して、精神的にすごく強くなりました」
東京医科大学は、大成で配られた「進路の手引き」を見て、先輩が推薦入試で進学したことを知り、受験を決めます。公募推薦に向けて、小論文の指導と面接の練習を先生にお願いしました。
「先生はつきっきりで指導してくださいました。自信のあった面接は5~6回でしたが、全然書けなかった小論文は30 回以上見ていただきました」合格発表の日、掲示板に自分の番号を見つけて思わず号泣してしまったという中村さん。人生で喜びの涙を流したのは初めてでした。
「都立高校に入らなくてよかったと心から思いました。合格できなかった悔しさがバネになってがんばれたし、何より大成の先生たちの指導は本当に丁寧でした」
大学ではいよいよあこがれの看護師になるための勉強が始まります。
「優秀な人がいっぱいいると思いますが、その中で埋もれないように、さらに上を目指してがんばります!」
木下さんは小学生のときからテニスを続けています。大成と出会ったのもテニスがきっかけでした。教わっていたコーチが大成の卒業生で大成への進学を勧められ入学。その頃はテニス一筋で、高校卒業後は選手かテニスに関わる仕事に就きたいと思っていたそうです。
はじめは大学進学は考えていませんでした。けれども、担任の先生と面談していくなかで、大学に進学しないと自身が目指すような職に就けないことに気がつきます。先生が「大学は人生のステップ」だと教えてくれたのをきっかけに、将来に対する考え方が変わりました。木下さんはテニス部と勉強を両立して、大学に進学してもテニスを続けると決意します。
高2からは成績上位を目指しました。理系科目が得意で生物と物理のテストで満点を取ったときに、「このまま満点を取り続けよう」と思い、部活で疲れても授業はきちんと聞いてコツコツ勉強しました。
「大成の授業はおもしろいです。好きな授業は日本史です。先生は個性的で授業のやり方も独特。最後まで集中することができました。自習方法は考えて工夫しました。例えば、英単語帳で単語を覚えるとき一つでも間違えたら始めからやり直します。受験期は毎朝5時半に起きて、単語と文法問題に取り組みました。それから、クラスのなかで教科ごとにライバルをつくって負けないよう自分に言い聞かせていました」
高3の春にテニス部を引退しますが、なかなか受験勉強には身が入らなかったそうです。模試の結果はE判定が続き、センター試験直前に受けた模試でも、思うように結果が出ませんでした。それでも木下さんは、大学でテニスをやるために最後まで諦めません。その理由は「第一志望校に選んだ青山学院大学は、担任の先生の母校で、僕も同じ大学に行きたいと思ったからです」。先生からの信頼と期待が木下さんのやる気を刺激しました。「夜11時には寝て、早朝に起きて毎日勉強しました。生活習慣を乱さないことが大切だと思います」。テニスで身につけてきた集中力を受験に生かし、目標の青山学院大学に合格することができました。
テニス部では部長としてリーダーシップを発揮しました。「テニス部の仲間は個性が強く、まとまりがないかもしれません。でも、ひとつにならなければならないときは気持ちがひとつになります。」。木下さんは一方的に指示を出すことよりも、積極的に行動してみんなを引っ張っていくように心がけました。ボールを拾ったり片付けたりするときも、まずは自分が動く。そうすると周りがついてきて、自然と仲間同士で注意し合えるようになりました。
初めて試合に出たのは福岡県で行われた全国大会です。そのとき木下さんは応援の強さを体感しました。それまでは支える側にいたので、応援がどのくらい選手に届いているのかわかりませんでしたが、コートに立ってみると、仲間の存在感がひしひしと伝わってきました。
大成のテニス部の強みは団体でもシングルでも各メンバーがそれぞれ対応して戦えること。個人競技ではあってもチームとしてのまとまりには自信があります。
そして、「チームとして勝っていきたい」という気持ちでがんばって準決勝まで勝ち進めます。「大会結果は第3位でしたが、応援の力を知った試合です」と朗らかに語ります。
将来は「テニスを通して本気でやっている人を応援したい。具体的には教員になってテニス部の顧問になりたいですね。大学でもテニス部に入って、とにかく結果を残したいです」と、新たな目標に目を輝かせていました。
小平さんは、4歳上のお兄さんが通っていたことがきっかけで大成高校に入学しました。 「兄がいるときから文化祭に来ていて、楽しそうな学校だなと思っていたので迷いはありませんでした。情報進学コースを選んだのは少人数で指導してもらえるし、資格の勉強もしたかったからです」
とはいえ、小平さんには他の同級生とは少し違う事情がありました。5才のころからクラシックバレエを習っていて、好きなダンスをずっと続けていきたいという希望を持っていたのです。レッスンは、ふだん週1日ですが、発表会の前などは週5日になることもありました。また、ほかのスポーツをすると筋肉の付き方が変わってしまうので、運動部には入れません。通っていた中学には文化系のクラブがあまりなかったので、部活はやっていませんでした。
でも大成高校は文化部も盛んです。その中で小平さんが選んだのは茶道部でした。
「もともと茶道に興味があったし、本格的な和室があるのも魅力でした。勉強とバレエと部活の両立は大変かもしれないけれど、充実した高校生活にするためにもがんばってみようと...」
実際に入部すると、茶道から学ぶものはとても大きかったといいます。
「茶道では礼儀を大切にするので、正しいお箸の持ち方やお茶碗をきれいに保つ方法、水屋を清潔に美しくすることなど、小さなことから礼儀作法を身につけることができました。それに何より、部活をやることで人間関係の幅が広がり、クラス以外にも仲の良い友人がたくさんできました。みんなすごくうるさいけれど(笑)、本当に楽しい仲間です」
そうした友人の存在は、バレエを続けるうえでも支えになりました。小平さんがレッスンで疲れていれば、さりげなく励ましてくれたり、授業のノートを見せて勉強のサポートをしてくれたり、小平さんの予定に合わせて遊びの計画を延期してくれることもありました。そして受験前、精神的にナーバスになっている小平さんの気持ちを落ち着かせてくれたのも、部活やクラスの仲間だったといいます。
「進路がみんなとは違うので、悩みを話すことはなかったけれど、ピリピリしているのは伝わったと思います。でもみんな踏み込み過ぎず、ふだん通りに接してくれました。悩んでいたからこそ、そうやって、ただそばにいてくれる友人がいることが本当にありがたかったです」。
小平さんが進学する日本女子体育大学は、舞踏の有名校。高2の夏にオープンキャンパスでダンスの体験授業を受けて、「ここだ!」と気持ちが固まりました。
「クラシックバレエだけでなく、様々なダンスが学べて、それを深めていける。ダンスの幅を広げて、舞台の上で表現し続けたいと思っている自分にとって最高の環境だと思いました」
まずAO入試に挑戦することを決め、対策を考えました。技術面はバレエの先生に指導を受けましたが、受験直前には大成のダンスの先生に客観的に見てもらうこともあったそうです。
「1次の書類選考は担任の先生に指導してもらいました。2次の実技は、その場で課題が出され、10秒間で空間把握をして10人ぐらいの試験官の前で1分間踊る試験です。今年はベンチが課題でしたが、夢中だったので、自分がどう踊ったかまったく覚えていません(笑)」
終わった後は、「絶対落ちた」と思ったという小平さんですが、見事に合格。大学では技術と表現力を高めるとともに、将来についても考えたいと話します。
「高校生活は一度きりしかないので、できる限り楽しむといいと思います。私のように習い事や部活と勉強を両立しなければならない人もいると思うけれど、無理せず続けてほしいですね。私はバレエがつらいときは学校でホッとできたし、試験勉強がたいへんなときはバレエで発散できました。大成なら、先生も全面的にバックアップしてくださるので、両立が可能です」
大成高校での3年間は、「部活と勉強」が生活のほとんどすべてだったという神田さん。中学校ではサッカー部でしたが、大成では180センチの長身を見込まれて勧誘を受けたバレーボール部に入部しました。
「バレーボール部は厳しい部活でしたが、ほかのクラスの人とも交流できて、幅広く友だちができたのがよかったです。僕たちの学年は1年の最初に1人辞めただけで、あとは誰も辞めずに、11人の部員が引退まで部活を続けました。合宿での練習は本当にきつくて、くじけそうになることもありましたが、『あいつもがんばっているから自分もがんばろう』と思って乗り切ることができました」
ただ、神田さんが在籍する特別進学コースは授業が多く、夏冬も講習などで練習に出られないことがあり、思うように練習に参加できないジレンマもありました。だからこそ、高2が終わろうとしてる春の試合で、ついに「これだ!」と思えるプレーができた瞬間は本当にうれしかったそうです。
そして高3の夏前に引退。その後、神田さんは本格的に受験勉強に取り組みます。中学時代に塾に行ったものの、あまり勉強しなかった経験から、今回は塾には行かずに受験に立ち向かうことを決意します。受験勉強の方針は、大成で配られた『進路の手引き』をよく読んで、自分で決めました。
「なかでも合格した先輩のコメントがすごく役に立ちました。先輩が実際に使ってよかった参考書なども紹介されていたので、それを見ながら参考書を選び、勉強法も見習いました」
夏休みにはものすごくがんばって勉強しましたが、休み明けの模試では思うように成績が伸びず、「基礎ができていないのに問題を解いていても、時間がかかるだけで効率が悪い」と自己分析します。担任の先生に相談してアドバイスをもらいながら、勉強法を工夫し、模試で結果が出始めたのは10月の終わり頃。同時に過去問にも取り掛かり、テストの形式にも慣れてきました。その後も模試で失敗することはありましたが、そのたびに自分なりに原因を分析し、「やるしかない」と思いながら、目標に向かって努力を続けました。
神田さんが第一志望校を明治大学に決めたのは高3の秋になってから。もともとGMARCHを目指していましたが、その中でも明治を選んだのは、過去問をやってみて自分に合っていると思ったことと、大学の立地がよく、「何となくかっこいい(笑)」と感じたからだとか。学部については、将来の希望がまだ決まっていないので、幅広く学べる経営学部を目指すことにしました。
受験本番では、まずセンター入試で好成績を収め、併願校の合格を手にします。そのおかげで、本命校の入試は、緊張しながらも落ち着いた気持ちで迎えることができました。明治大学は全学部統一入試と経営学部のみの入試を受け、自分としては失敗したと思った全学部統一入試で、見事に合格を決めました。
高校を卒業した今、神田さんが振り返って思うのは、「大成で本当によかった」ということです。もともとは都立高校が第一志望でしたが、「大成に来ていなかったら、今の自分はなかった」と確信しています。
「受験勉強をしているとき、『今日はここまででいいや』と思うのではなく、『あと1歩がんばろう』と思うことができたのは、部活で『あと一歩がんばる気持ち』が身についていたから。そして常にモチベーションを上げることができたのは、クラスにライバルだと思える友人がいて、お互いに『負けないぞ!』と言い合いながらがんばれたから。さらに、先生と生徒の距離が近くて、いつでも気軽に相談できたのもよかったです」
大成で培った強い精神力は、これから先の神田さんの未来にもつながっていくはずです。
中学校の成績は「オール3の下ぐらい」で、バドミントンが大好きなごく普通の女の子だった岡さん。いつからか、友人からのお守りをたくさんポケットに忍ばせて受験勉強に打ち込むようになり、見事に難関大学に一般受験で合格。大成での3年間...彼女のなかで何が変わったのでしょうか。
大成での3年間は「勉強と部活の両立」、この一言につきるという岡さん。中学校から続けているバドミントンは、出身中学からずっと一緒にダブルスを組んでいた相手に励まされながら引退まで共にプレーしました。
「大学は別々になりましたが、受験のときはお守りをプレゼントしてくれて。励みになりました」とニッコリ。
そのお守りを含め、自宅ではたくさんのお守りをずらりと並べて勉強。さらに受験のたびに毎回同じ服を着て、そのポケットはすべてのお守りでふくらんでいたそうです。なんと試験のときはお茶とおにぎりの具までまったく同じものを食べ、ゲン担ぎをしていたのだとか。
そんな岡さんの中学生時代は「成績はさっぱり。オール3より下のぐらい」。大成を私立単願で受験したときには将来の夢も決まっていなかった岡さんですが、大成に入学したことでその未来が変わり始めたのです。
「当時、大学入学を推薦入試でと考えている人が多い中で自分はやることがなくて...。とりあえず勉強を始めたんです」と、受験勉強を始めたのが高校2年生の冬。苦手な英語は中1の基礎からやり直しました。それまでテストのときは丸暗記で乗り切っていたものの、本当は理解できていなかったと語ります。
勉強を意識し始めた岡さんが毎日部活後に向かったのは、地元のコミュニティセンター。そこの自習室で次第に勉強量を増やしていきました。
最終的に行きたい大学を絞ったのは3年の冬ですが、夏に一度挫折を経験したという岡さん。緊張して模試で実力を出せず、志望校のレベルを落とした方がいいかと悩み、あせりの日々が続きました。
そんなときも含めて受験中、一番力になったのは3年間指導してくれた担任の先生の存在でした。「大成はみんな熱心な先生ばかりですが、そのなかでも熱血タイプだったのがうちの先生。それまで書いて覚えていた英語の成績がいまひとつだったのですが、先生から『英文は実際に口に出して音読するといい』とアドバイスを受け、やってみたら驚くほどスルスル頭に入りました。あとで知ったのですが、受験に受かった生徒はみんなこの音読法を実践していたんです」。
実は岡さん、インターネットを利用して勉強法を検索するなど自分なりに研究していました。「情報には流されやすいけど、決めたことはやりとげたいタイプ」という岡さんがたどり着いた音読法。まさに「見つけた!」と思ったあとは、志望校の赤本を繰り返し解きながら、英文は1日2回音読。受験勉強のラストスパートのときには「もうほとんど音読だけで勉強していました」というほどだったそう。
法学部を目指すことにしたのは、自分の国である日本に関心があったため。「自分の住んでいる国のことを知らずに生きるのってどうなの?と思ったことがきっかけですね。これは今、しておかなきゃいけないことだと思って」。
とはいえ、具体的な将来のビジョンはまだ固めていないという岡さん。大学に入学してから、じっくりと決めるそうです。後輩たちには「私のように将来の夢がまだ決まっていなくても、大成で変わることができたよ!」とエールを送ります。
「今振り返ると、大成に入ったからこそ充実した高校生活を送れたのだと思います。大成は他校に比べて校則が厳しいですが、結果的にそれがよかったのかなと。校則の緩い学校は、それなりに楽しいかもしれません。でも、その感覚のままじゃ社会では通用しませんよね。私は大成で社会に必要なふるまいを学ぶことができたと思っています」。
将来は法律関係の仕事に就き、音楽関係の仕事をしている母親のサポートができればと語る岡さん。これから大学でやってみたいことを尋ねると、「高校では申請が必要なので、アルバイトをしていませんでした。バイトでお金を貯めて英会話とかの習い事をしてみたいですね。この先、留学することもあるかもしれないし、なによりいろいろな国の人たちとしゃべってみたいんです!」と、目を輝かせながら答えてくれました。
郡さんが初めて大成を訪れたのは、中学3年生のときのオープンスクールでした。それがきっかけで、文化祭や在校生の雰囲気にも惹かれ、なにより中学のころから興味を持つようになった演劇ができる部活があるというのが決め手になり、大成に入学。「大成では知っている人が誰もいなくて、逆に違う意味での"高校デビュー"になったんです」と微笑みます。
実は当初、志望していた文理進学コースに合格できなかった郡さん。第2志望の情報進学コースに入りますが「そのせいで、最初は学校が楽しいと思えなくて」とポツリ。しかし、部活や友人が増え、視聴覚委員を担当するようになると、次第に学校生活がイキイキするものになりました。
「結果的には情報進学コースでよかったと思います。クラスのみんなは、スポーツや趣味にこだわりのある個性派ぞろい。みんなといるのが楽しかったですね」。授業で利用するパソコンは正直苦手で、検定も取るつもりはなかったそうです。しかし、情報処理技能検定の3級、そして2級と取得するにつれて、この先プラスになると感じた郡さん。兼部していた茶道部でも認定を得て、さらに自信につながったのです。
演劇部では部長を努めました。脚本や演技など一から手作りする舞台は、どの公演も思い出深いと言います。特に印象に残っているのは3年生のときの文化祭でのステージ。「最初はギャグを取り混ぜた軽い雰囲気の話ですが、途中でガラリとシリアス調に変わるんです。その転換のキーパーソンとなるのが私の役。演じているうちに自然に涙が出てきて、それがシーンにマッチして自分でもびっくりしました。あとでみんなから『役に入りきっていたね!』と言われて。あれはとてもいい経験になりました」。 学習面では、テスト期間中など友人を誘って何度も職員室に通い、わからない部分を徹底的に質問。「先生からも『またお前か!』と言われるくらい通いましたね。大成の先生たちは、生徒一人ひとりにじっくり向き合ってくれます。"友達以上家族未満"の、ほどよいアットホームな距離感は入ってみてから実感できたことです」。とはいえ、実際に兼部しながらの受験は大変なこと。文化祭のすぐあとにAO入試をひかえていた郡さんは、舞台に出るのを一瞬ためらったほどでした。そのとき、顧問の先生が「やってごらんよ」と背中を押してくれました。
夏休みは受験のためのエントリーシートづくりもあり、ハードな毎日でした。入試は実技のほか、AOのエントリーシートに1500字で文章を書くというもの。郡さんはそこに演劇部や茶道部を含め、学校生活のことを余すところなく記しました。さらにエントリーシートをもとにした面接の前には、一問一答の「なぜノート」を作ればといいと先生からアドバイスも。「面接では人柄はもちろん、自分がこれまでにやってきたことを見られました。『なぜノート』はシンプルな質問形式で自分を突き詰めていくもの。それを参考に、ようやく面接前日に模擬面接の先生からOKをもらうことができました」。
大成の3年間で成長したと思うのは、人見知りの内気な性格が変わってきたところだという郡さん。「小学校のころは人前に立つのが苦手でした。学校で劇をするときも、台詞は一言だけとか立ってユラユラしているワカメの役とか。
それが演劇の道を目指すようになるなんて、自分でも驚いています。これから演じる側になるか舞台裏の仕事を手掛けるのかは未定ですが、中学のときからは考えられない自分になることができました」とその変化を語りました。
部活や勉強を通して、自分の長所も短所も見つけることができたという郡さんにとって、大成の3年間を一言で表すと『変化』。「もし大成に通っていなければ、今の自分はありません。部活をやめようと思ったこともあります。でも、それを乗り越えることで自分は変われました。どんなにつらいときも続けることが大切で、それができるのは高校生の時期だけだったと、卒業して気づいたんです」と笑顔を見せてくれました。
第1志望の都立高校に合格できず、大成に入学することになったとき、森谷さんは「大成はサッカー部が強いから、高校の3年間はサッカーを頑張ろう」と決意します。でもそれと同時に、「都立の受験に失敗したのは、中3の10月までサッカーをしていて勉強が足りなかったからだ」と感じていたので、大学受験ではその反省を活かして、早めに受験勉強を始めようと思ったのだそうです。
入学したときは文理進学コースでしたが、順調に成績を伸ばして高2から特進コースに変更。ところが特進コースの授業はとてもレベルが高くて驚いたのだとか。
「最初に受けた数学の授業は自分には未知のことばかりでした。周りはみんな理解しているようで、先生にも鋭い質問をしていたりして、途方にくれました(笑)。ほかの教科の進度も速いし、これはまずいと思い、何とか追いつけるように必死で勉強しました」。
もちろんサッカー部も続けていましたが、特進コースは授業数も多いため、それからは勉強と部活の両立が森谷さんの高校生活にとって重要な課題になりました。練習に参加できないことも増え、サッカー部のレベルについていくのもきつくなってきました。特に講習の時期は練習に全く出られず、体力も落ちて、チームを下げられるなど、つらいこともありました。それでもサッカー部をやめずに頑張れたのは、目標とする先輩がいたからだと言います。
「特別進学コースより上の特進選抜コースにいるのに1軍のチームで活躍している先輩でした。その先輩が頑張っているのに、自分だけ逃げるわけにはいかない。ここで逃げたらかっこ悪い。つらくても自分で選んだ道だから言い訳できないと思いました」。
サッカー部の練習でも、ランニングはできるだけ前の方で走るようにするなど努力を重ね、「完璧とは言えないけれど、部活も最後まで頑張れたことは、自分にとって大きな自信になりました」と晴れ晴れとした表情で語ってくれました。
もともとは英語が苦手だった森谷さんですが、今では「高校の英語教師になりたい」と考えています。そのきっかけとなったのは大成の「英語表現」の授業でした。「初めて英語の構造から教えてもらい、英語の勉強がどんどん楽しくなってきた」のだとか。
「わからないことは、すぐ先生に質問に行きました。先生はこちらから頼まなくてもプリントを作ってくれたり、わかりやすい本を貸してくれたりして、本当に親身になって指導してくれました。いい成績を取ったときにほめられるのもやる気につながりました」。
そして高2の12月、大学入試まで1年を切ったことから、本気で受験勉強に取りかかった森谷さん。塾には行かず、大成の授業で学んだ内容を何度も自分で反復することで実力を定着させました。高3の5月には、先生が勧めてくれた英検2級にも合格。英語を学びたいという気持ちはさらに大きくふくらみます。そして見事に第1志望の明治大学に合格を果たしました。
「大成の先生や先輩との出会いが、僕を夢へのスタートラインに立たせてくれたんです!」。高校受験で不完全燃焼だったという気持ちを持ちつつも、好きなサッカーを犠牲にすることなく頑張り続けた森谷さん。その言葉には自信がみなぎっていました。